戦時戦略情報局OWIが分析した戦時中の日本

第二次世界大戦当時、アメリカはどのように日本を分析していたのだろうか?
当時アメリカには2つの情報局があった。一つはプロパガンダや暗殺など裏の情報工作を行うOSS(戦略事務局、後のCIA)と、学術的調査などを行い後のプロパガンダなどへの利用を目指す表の情報局OWI(戦争情報局、国務省に吸収)がある。ここでは、OWI日本班チーフであったルース・ヴェネディクトによる分析を紹介しよう。


ルース・ヴェネディクトの分析は、The Chrysanthemum and the Sword (邦題:菊と刀)の名で終戦の3年後に出版された。この為現代では、第二次世界大戦当時、アメリカは日本をどのような国だと分析していたか? という事を確認する事ができる。この分析が、後の日本に対するプロパガンダに応用されたと言われている。

なぜ終戦時、天皇は殺害されなかったのか? 戦前の日本とはどのような国だったのか? 政治家は民意を無視することがあり、また表現の自由を巡る論争がよく起こる。本当に日本は民主主義なのか? といった疑問を考える助けになれば幸いである。

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ルース・ヴェネディクト

西洋人に理解できない矛盾した民族

菊と刀


ルース・ヴェネディクトは日本を訪れたことは無かったが、文化人類学という学問の観点から日本を分析した本は、この様な内容から始まる。


ある国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、「しかしまた彼らは不遜で尊大である」とつけ加えることはめったにない。

ある国民が従順であるという時、同時にまた彼らは上からの統率になかなか従わない、と説明したりはしない。

彼らが忠実で寛容であるという時、「しかしまた彼らは不忠実で意地悪である」と言いはしない。

美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べた、もう一冊の本によってそれを補わなければならないということは、普通はないことである。


このように日本人にとっての「あたりまえ」は矛盾に満ちており、西洋人にとって容易に理解する事は出来ないものだったようだ。


それでも戦争においては敵国人を理解しないわけにはいかない。相手がどのように考えて戦うのか? というのももちろんそうだが、捕まえた捕虜をどのように扱えば反乱を起こさないのか? どのような打撃を加えれば相手は負けを認めるのか? 占領した後、どうすればその国民を統治する事が出来るのか? を考えなければ戦争に勝利はできないからだ。


もしアメリカが皇居を爆撃し、天皇を殺害した場合、日本人は敗北を認めてアメリカに服従するのか、それとも最後の一人になるまで戦う決意をさせる事になるのか。


捕虜にした日本人のうち戦争に賛成したものは、天皇陛下こそが軍神であり戦争に導いたのだと主張する。しかし戦争に反対の姿勢だった日本人は、天皇陛下は戦争には反対であったが、東条英機にだまされたのだ、と主張する。
 しかしどちらの捕虜であっても、ひとたびアメリカのために働くと言えば、それまでの信条が無かったかのようにアメリカに尽くすのである。


日本人という矛盾に満ちた民族を分析しなければ、どのように戦争を終結させるのかを決めることができなかった。
菊と刀は、分析に失敗すれば追加で万単位の命が失われる可能性のある重みを持った、「日本人とは何か?」に関する研究を記した書である。


天皇をカミとする、特権付きの階級社会

ジャパン・カースト

7世紀頃、仏教が伝わる頃から、第二次世界大戦まで、日本は常に階級社会であった。例えば家族の中では父が階層の頂点である。日本全体の階級の頂点が天皇、神であり上である。


相手の階級が重要なため、相手の呼び方が目上であるかどうかによって変化する。英語はYouしかない。


他の国々でも民主主義になるまでは階級社会であったが、日本の場合は各階級に特権が存在する、というところが他の国と違うところである。例えばエタと呼ばれる被差別階級は死刑囚の埋葬、獣類の皮剥ぎ、皮革製造などを職業としていたが、これらは逆に、エタ以外の階級の者が就くことはできない特権であった。


特権を侵害する場合には、たとえ階級が上の人間に対しても公然と抗議する。このことが、 従順でありながら上からの統率になかなか従わない 、という文化が培われたと考えられる。


恩に支配される、名誉を求める民族

恩と義理

【善悪判断の中心となる恩】

日本人にとっての恩は、アメリカ人にとっての負債のようなものであり、返済しなければ債務不履行のような制裁を受ける。この「恩」は親や先生、恩人、世間、社会、そして天皇から与えられるものであり、それを返済することが美徳とされる。大切に育てられ、教育を受け、幸福に暮らしていられるのはすべて世間のお陰である、という考え方であったようだ。「恩を忘れない」という事が日本人の習慣の中で最高の地位を占める。カミカゼや玉砕は、天皇に対して無限の恩を返済する行為である。
西洋にはそのような「恩を返す」という考えがなく、日本人から見れば「正義ではない」と考えられていたようだ。


この「恩」という概念によって、日本人は西洋の民主主義とは異なった善悪判断、自尊心を持つと分析されている。


民主主義の中心的な考えである「人権」は「生存権」「自由権」が含まれるが、アメリカ人にとって法律ができることは、個人の自由に対する干渉として国中どこでも憤慨されるものである。自由への干渉に対し、どれほど強く反対しても、自尊心の為に当然許されるべきとアメリカ人は考える。
しかし日本人は法律に反対する事を遵法精神を欠く国民であると考える。日本人は恩恵を受けた人に恩返しをするという事に自尊心を持つ民族だ。世間からの「恩」を忘れ、世間や社会に反対することは「恩知らず」ということになる。アメリカ人はこのような日本人を、民主主義の観念が欠如した屈辱的な国民であると判断する。アメリカ人が持つ自尊心は、自分の事は自分で処理するという考えに依存している。
両国の国民の自尊心がそれぞれ異なった態度と結び付けられている。


アメリカと日本で異なる自尊心は、それぞれ社会制度としてデメリットを持っている。アメリカでは法律が国全体の利益になる場合においても、国民の了承を得ることが難しい。日本人の自尊心のデメリットは影に覆われてしまう(地下に潜ってしまう)事で、法律の範囲内で生活しながら、巧妙に要求される事を回避する。また日本人は、アメリカ人は決して賞賛しないある種の暴力や直接行動や私的復讐を賞賛する。

【義理について】

日本人の「恩」は大きく義務と義理に分類される。義理に相当する英語は見当たらない。中国の儒教の中にも、東洋の仏教の中にも無い。人類学者が分析した世界の文化の中で、風変わりな道徳的義務の範疇の中で最も珍しいものの一つである。


義理の父母など契約上の親族からは恩を直接受けていないにも関わらず、義理によって恩を返さなければならない。直接的な恩を受けていないにも関わらず、返済の義務を負うものが義理である。主君に従う義理は家族への義理より重い。


名に対する義理が日本人の行動に大きく影響している。


侮辱に対する復讐は自分の名に対する義理であり道徳的行為である。


日本人にとって自殺は、適切な方法で行われるのであれば汚名をすすぎ死後の評判を回復する手段である。正月になると借金を返せないと理由で名を傷つけるのを恐れ自殺するものが増える。アメリカでは自殺は絶望への自暴自棄的な屈服に過ぎないとされ称賛されたりしない。


競争に対する意識にも名に対する義理の影響が現れる。日本人は競争せず一人でいる場合は作業効率が上がるが、競争させると負ける事が気にかかり効率が低下する。不合格になった子供が自殺するケースもあり、小学校が落第させるようなことは無く、直接的な競争は可能な限り避ける。アメリカでは敗者は勝者と握手するのが礼儀であり、負けたからといって泣く人間を軽蔑する。


客を迎える時には衣服をあらため、一定の礼式を持って迎えねばならない。作業着で客を迎えたりはしないし、客の側も迎える側の準備が整うまで待つ。


田舎では、夜、家族のものが寝静まり娘が床に入った後に、青年が娘を訪れる風習がある。娘は青年の言い寄りを受け入れることもはねつけることもあるが、青年は手ぬぐいで頬被りをして、たとえ拒絶されても翌日恥を感じなくて済むようにする。


日本人にとって最大の罪は不誠実、恩に対する反逆である。殺人者でさえ、事情によっては許してもよい。しかし嘲笑だけは弁解の余地がない。日本人の恒久不変の目標は名誉である。日本人から見れば、自分の属している世界で尊敬されれば、それでもう十分な報いである。

いくつもある日本人にとっての正義

日米の正義の違い

アメリカと日本の正義の違い】

西欧人は善と悪の2つで世界をとらえ、一つの正義の元に行動する。一方日本人はいくつもの正義、忠・孝・義理・仁・人情といった徳を持っている。日本人は異なる正義のもとに行動を変える場合があるが、西欧人にはそれが無いため日本人を理解できない。不信仰者がカトリック信者になるとか、共産主義者保守主義者になるような転向はあるが、一つの正義が変わるだけで複数の正義が同居しているわけではない。
日本人の「世界」の中には「悪の世界」は含まれていない。人生を善の力と悪の力が闘争する舞台とは見なさない。


日本人の複数の正義は、全ての正義を同時に満たすことができない矛盾を生み出す。そのような「義理と人情」「忠と孝」「義理と義務」の葛藤の物語が日本人には好まれる。


「忠」は天皇や大名など権力者に仕える忠誠心である。
「考」は自らを育ててくれた両親を大切にする心で、孝行とよばれる。
「義理」は契約上の親族や恩を受けた他人を大切にする心である。
「仁」は世間や人々の幸福に尽くすものである。法に反する義賊の名誉は仁義である。妻を大切にするという考えも仁の世界に属する。
「人情」は個人的な快楽の世界である。


近代日本人は、すべての「世界」を支配する何かある一つの正義をあげようとする時には、「誠実」を選ぶのが常であった。

【人の強さに関する考え方の違い】

西欧人にとっての強さとは、因襲に反旗をひるがえし、幾多の障害を克服して幸福を獲得する事を強さの証拠であると考える。
日本人にとっての強者とは、個人的幸福を度外視して義務を全うする人間である。性格の強さは反抗することによってではなく、服従する事によって示されると考える。


服従という強さに関連して、自重するという言葉がある。自重という言葉は文字通りには「重々しい自我」という意味であるが、「あなたは自重しなければならない」というのは、「あなたはぬかりなくその事態の中に含まれているあらゆる因子を考慮し、けっして人から非難されたり、成功のチャンスを減少させたりするようなことをしてはならない」という意味である。
「自重して復讐する」というのは、「どうしても完全に復讐しないではおかない」という意味であって、周到に計画をめぐらし、あらゆる要素を考慮の中に入れて復讐を行うという意味である。意図は善かったのだということを理由にして、失敗のアリバイを申し立てることは許されない。

【罪の文化と恥の文化の違い】

日本人は、罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置いている。
文化人類学の研究で重要な事は、恥を基調とする文化と、罪を基調とする文化とを区別する事である。


罪の文化は以下のような特徴がある


  • 道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会
  • 内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行う
  • 罪は告白する事で軽減される


恥の文化は以下のような特徴がある

  • 告白は悪い行いが世間に露顕することであり、苦労を増やす事になる
  • 外面的強制力にもとづき善行を行う。恥は他人の批評に対する反応である
  • 各人が自己の行動に対する世評に気を配るという事を意味する

【人情、個人的快楽の価値観について】

義務の返済と徹底した自己放棄を要求する日本の道徳は古典仏教の影響と思われる。しかし快楽を許容しているという点で仏教経典の教えとは反している。快楽は追求され尊重される。肉体的快楽をよいものと受け止める。ピューリタン清教徒)ではない。


アメリカ人は快楽というものはわざわざまなばなければならないものとは思っていない。多くの文化においては、快楽そのものが教えられるという事はない。日本では快楽は義務と同じように学ばれる。しかし学んだ快楽にふける事を禁止する道徳を設ける事で人生を困難なものにしている。彼らは肉体的快楽を芸術のように練磨する。それから快楽の味が十分味わえるようになった時に、それを義務のために犠牲にする。


西欧人は、肉体と精神は各人の生活において覇権を獲得するためにたえず闘っていると考える。
日本人の哲学では肉体の快楽を楽しむ事は罪ではない。そして日本人はこの信条を論理的に推し進めて、世界は善と悪との戦場ではないという結論にまで持って行く。日本人は2通りの魂があると信じているが、それは善と悪ではなく「柔和な」魂(和魂)と「荒々しい」魂(荒魂)とであって、一方が地獄に、他方が天国に行くと定まっているのではない。それぞれ異なった場合に必要であり、善となる。


日本人の最も好む肉体的快楽の一つは温浴である。客人につづき、家庭内の地位の高い者から順に真っ赤になるまで浸かる。
睡眠もまた日本人の愛好する楽しみである。疲れを癒す事と別で考えなければならない。
食事は快楽であり修行である。食を断つ事はどれくらい鍛錬が出来ているかを知る鑑別法である。


日本人の結婚と家族に対する義務に反するが、ロマンチックな恋愛もある。アメリカ人にとって恋愛は結婚する最も立派な理由になるが、日本人は恋愛と結婚を同一視せず、親の選択に従う。


日本男子は余裕があれば情婦を持つが、中国と違い惚れた女を家庭の一員に加える事はしない。もしそうすれば、区別しなければならない二つの領域を混同する事になる。ただし女に子供があり、男がその子供を自分の子供と一緒に育てる事を希望する場合に限って、女を自分の家庭に入れる。この場合女は第2夫人としてではなく、召使いの一人として扱われる。子供は本妻を母と呼び、実の母との間に関係は認められない。日本の制度は、一夫多妻とは異なるものである。
妾を蓄えるだけの余裕があるのは上流階級の人間に限られるが、大抵の男子は一度は芸者や娼婦と遊んだり経験を持っている。そのような遊興はおおっぴらに行われており、妻が夜遊びに出かける夫の身支度をしてやる事もある。
娼婦は遊郭に住んでいる。芸者と遊んだ後でさらに気が向けば娼婦のところに行く人もあるが、娼婦の方が金がかからないので、懐の寂しい人間はこの遊興方で満足し、芸者遊びは断念しなければならない。


日本人はまた、自淫的享楽に対してもあまりやかましく言わない。この目的のために用いるさまざまの道具を工夫した国民はほかにない。
手淫を非難する西欧人の強硬な態度は、アメリカよりもヨーロッパの大部分の国々の方がさらに強硬であるが、成人する以前に意識の中に深く刻みつけられる。西欧人は幼少時代に母から厳重な監視を受け、罪を犯せば体罰を加える事もあった。日本の幼児や少年はこういう経験を持たない。


酒に酔う事も許しうる「人情」である。

歪んだ宗教観と日本人にとっての修行

アメリカは特別な修行をするような事はしない。目的があるなら、その実現のために自らの意思で訓練を行う。日本は試験を受ける青年も貴族も自己訓練を行う。


日本人にとっての修業は「落ち着いた、事に当たって取り乱さない心」を養う訓練である。インドのヨーガ(仏教の修業)に由来し、同一の文句を何万回も繰り返すことや、ある一定の象徴に注意を集中することに力点が置かれている。


インドのヨーガは極端な禁欲苦行を行い、輪廻からの解脱を目指す。障害となるは人間の欲望である。欲望を餓死させる事で聖者となり、霊性・神仏と一体となることができる。このような哲学は日本には見られない。日本は一大仏教国であるにもかかわらず、輪廻と涅槃の思想が国民の仏教的信仰の一部分となったことはない。


どんな人間でも、最も身分が低い農民でさえ、死ねば「仏さま」という言葉づかいをする仏教国は他にない。なにをしてもしなくても仏になるものならば、なにもわざわざ一生肉体を苦しめて、絶対的停止の目標に到達しようと努力する必要はない。日本人は仏教の死後の世界における因果応報の思想を棄てたのだ。


世界中どこでも神秘主義的修行法の行われてきた所では(未開民族、マホメット教の修行僧、インドの瑜伽(ヨーガ)行者、中世キリスト教徒など)、修行者たちは、その信仰が異なっていても、ほとんどが同じように「神と一つ」になると言い、「この世のものにならぬ」経験をすると言う。日本人も神秘主義的修行法を行うが、神秘主義はもたない。日本人は恍惚状態におちいらないという意味ではなく、それを入神の状態とは言わず、「一点集中」の態度を養うと言う。この方法によって「六官」が異常に鋭敏な状態に達するという。訓練によって心の中に宿る第六官だけでなく味覚・触覚・視覚・嗅覚・聴覚も鋭敏にする。こういうことは、超感覚的経験を重んずる宗教として異例である。


日本人の自己訓練の達人が到達する心境は「無我」と呼ばれ、意志と行動との間に「髪の毛一筋ほどの隙間もない」ときの体験のことを指す。この時、行為は行為者が心の中に描いた形と寸分違わぬ形で実現される。


このように、日本の善悪判断に対して、仏教の影響は強く見えない。

日本の幼児教育-なぜ矛盾は生まれるのか

【乳児の教育の対比】

日米の幼児教育は以下のような違いがある


アメリカの幼児教育

  • 一定の時間を定めて授乳し、一定の時間に寝かしつける
  • むずかっても嬰児は時間の来るまで待っていなければならない。母親が外出する時には、嬰児は家に留まっていなければならない
  • 指を口にくわえたり、そのほかの身体の部分に触れたりすることを禁止するために、嬰児の手を叩く
  • まだほかの食べ物よりも乳が恋しい時に乳離れをさせられる。身体によい一定の食べ物がきめられていて、それを食べなければならない
  • きめられたとおりのことをしなければ罰せられる

日本の幼児教育

  • 嬰児は、いつでも時を選ばず、乳を飲むために、もしくはおもちゃにして楽しむために、乳房をふくむことを許される
  • 年上の子供がおんぶする。彼らは遊ぶ時にも赤ん坊をおんぶしたままで、ベースに向かってかけ出したり、石蹴りすることさえある
  • 帯で負う日本の習慣は、ショールや袋の中に入れて持ち運びする習慣のように完全な受動性を養わない。赤ん坊は、自分でいろいろ骨折って楽な姿勢をとるようにする。そして間もなく、まるで肩に縛り付けた包みのようにではなく、非常に巧みに、負う人の背中に乗るすべを覚えこむ
  • おしめを頻繁に取り替える習慣がない。不快な思いから早く解放されるために、用を足すことを早めに教え込む

【生活曲線-人生における自由度の違い】

日本の生活曲線はアメリカの生活曲線のちょうど逆になっている。それは大きな底の浅いU字型曲線であって、赤ん坊と老人のときに最大の自由と我儘とが許されている「自由の領域」である。 アメリカでは壮年期に個人の選択の自由を増大させるのが肝要であると考える。日本人は個人に加えられる束縛を最大限に達せしめることが必要であると考えている。

【家を継ぐための子供と親の意識】

子供に対して寛容な国民は子供を欲しがる傾向が強いが、日本人が子供を欲しがる理由はそれだけではない。日本では家の血統を絶やすようなことになれば人生の失敗者となる。父親が息子に家督を譲り渡すことができなければ、管理者の役目を務めてきたことは無駄になってしまう。女もまた子供を欲しがるが、それも情緒的満足を得るためばかりでなく、女は母親となることによってはじめて、地位を獲得することができる。


日本の女たちは多産者であることを期待されており、日本人の母親は早く子供を産み始める。そして十九歳の女は他のどの年齢の女よりも余計に子供を産む。西欧より多いことはもちろん、多産といわれる東欧の国々よりも出生率が高い。


十四歳から十八歳にかけての娘の髪の結い方は、日本では一番念入りなものである。彼女たちは木綿物の代わりに絹物を着ることを許される年齢、すなわち、容色を引き立てる着物を着せるためにあらゆる努力が払われる年齢に到達する。


男の子は女の子に接する態度において「内気」である事が望ましいとされた。田舎では、この点についてさんざんにからかう空気があって、それが少年を「内気」にしている場合が多い。
昔は、そしてこの「菊と刀」という本が出版された頃であっても、日本の辺鄙(へんぴ)な村では、多くの娘が、時には大多数の娘が、嫁入り前に妊娠した。このような結婚前の経験は、人生の重大な仕事の部類には入らない「自由な領域」であった。両親はこういう事件を眼中におかずに、縁談を取り決めるものとされた。

【教育からくる日本人の善悪判断と矛盾】

日本人の性格の矛盾は子供のしつけ方を見れば理解できる。
日本人は幼児期の特権と気楽さの経験から、その後にさまざまな訓練を受けても、「恥を知らなかった」ころの気楽な生活を記憶する。
幼児期の経験は、すべての人間の内に「仏種」(仏となる可能性)があるとか、人間は誰でも死ぬと同時に"カミ"(神)になるというような、極端な解釈を成り立たせる。それは自分の言いぶんをどこまでも主張する傾向と、ある種の自信を与える。それはどんな事にでも、たとえそれが能力を遥かに越える難事業の場合でも、進んでぶつかってゆく態度の根底となっている。それはまた自国の政府に対してさえ反対の立場を取って闘い、自殺によって自己の立場のあかしを立てることを辞さない態度の根底となっている。時には集団的誇大妄想狂におちいる可能性を与える。


やがて成長して「恥を知る」責任が課せられるようになり、それはもし責任を果たさなければ家族からのけものされるというしくみで強制される。
「世間の人びと」に笑われ、見捨てられぞと言い聞かされ、子供は自分の自由が奪われることを受け容れなければならないと考えるようになる素地を作る。仲間はずれにされることは、暴力よりもなお恐ろしいことである。


日本人は「忠」「孝」「義理」のために死ぬとしても、それは自らの欲によるものであり、自己犠牲とは認識しない。

日本を変えるために

日本降伏当時の重大問題は、どのような占領を行うべきか、ということであった。
アメリカで講和条約を厳格にすべきか、寛大にすべきかが繰り返し議論された。目的は厳格か寛大かではなく、古い侵略的な型を打破し、あたらしい目標を立てるのにちょうど適した量の厳格さを用いることである。


これは結論から言えば、日本はアメリカが直接統治するようにはならず、日本人が統治し、アメリカが指示を出すという間接統治の形となった。日本人はアメリカ人とは、言語も、習慣も、態度も異なっている。日本国政府の機構を利用することによって、時間と、人員と、財力とが節約できる、というのが理由の一つである。


また、日本人は攻撃を受けた際、そこに侮辱が含まれるかどうかによって行動を変える。そのため、自尊心を傷つけることが無いように政策が作られた。


日本人は、ある一定の行動方針を取って目標を達成することができなかった場合には、「誤り」を犯したというふうに考える。「あれは失敗に終わった」と言い、それから後は、別な方向にその努力を傾ける。ある行動が失敗に終われば、それを敗れた主張として棄て去る。いつまでも執拗に敗れた主張を固守するような性質にはできていない。


西欧人から見れば主義の変更としか思われないため、日本人のこのような変化に疑念を抱く。しかしそれは、個人的関係においてであれ、国際的関係においてであれ、日本人の処世術に必要な一要素となっている。


敗戦時は、日本人は進んで戦争を放棄する憲法の立案に取りかかった。戦争をするという方法は失敗に終わった。このようにして、日本人から怨みの記録を消し去ったのである。


日本人は私利や不正に対して反抗はするが、決して革命家にはならない。明治時代に行ったように、制度そのものには少しも非難を浴びせずに、最も徹底した変革を実現することができる。明治維新という革命は「復古」と名付けられた。


幣原首相の言葉で、「新日本の政府は、国民の相違を尊重する民主主義的な形態を取る。(中略)わが国においては古来、天皇は国民の意思をその御心としてこられた。(中略)民主的政治は、まさしくこの精神の顕現と考えることができる」というものにそれを見ることができる。戦後、民主主義を目指すという方向転換は、古来への回帰と見なされた。


アメリカにも他の国にもできないことは、命令によって自由な、民主的な日本を造り出すことである。
法律の力によって彼らに、アメリカ人には慣れっこになっている遠慮なく打ち解けて人と接する態度、どうしても自由独立を要求せずにはいられない気持ち、各自それぞれもっている、自分で自分の友達、自分の職業、自分の住む家、自分の引き受ける義務を選択する情熱を採用させることはできない。


このような理由で、日本は民主主義を押し付けられたのではなく、自ら民主主義に向かうように方向付けがなされたのである。

まとめ‐「菊と刀」と今日の日本

菊と刀を読む事で、今に通じる部分と、教育で教えられている内容とは異なる部分がある事がわかる。


矛盾した民族、ということは現代でも比較的受け入れられやすい日本人の特徴ではないだろうか。
恩を大切にする民族というところも多くの人は同意するだろうと思う。もっとも戦前のそれとは重要さは異なっているだろうが。


階級社会は今でも体育会系では色濃く残っているだろう。年功序列の廃止やパワハラなどの規定によりだいぶ弱くなったとはいえ、マナーという名で階級を意識する文化は根強く残っている。役人たちに対する忖度もそうであるといえるかもしれない。


日本人にとってのあたりまえが、実は当たり前ではない、というところも見受けられる。


例えば「死ねば仏様」は仏教の教えと信じているけれど、修行をすることで仏に近づくのが本来の仏教であるということは知らない人も多いことだろう。写経も修行の一つではあるけれども、仏様と呼ばれる人々の中には一度も写経をしていない人も含まれているはずだ。


子供の育て方にもそうした驚きがあるだろう。子供が泣いたら乳を与えることは日本人にとっては当たり前のことであるが、アメリカでは当たり前ではないのだ。


そして今の日本や教育で教えられていることと、明確に異なる点も存在する。


一番大きな違いは「アメリカは日本人を民主主義に洗脳していない」という点だろう。教育では、日本人はアメリカから民主主義を与えられた事になっている。しかし菊と刀を読む限りでは、軍国主義が失敗したため日本人が民主主義を選択する、という事が期待され、アメリカから押し付けられたという事ではなさそうだ。この事は、平然と公約を破り民意を無視する政治家が現れる事や、民主主義の理念、つまり社会契約論や市民政府論の理念を口にする国民がほとんどいない事、先進国一高い供託金が必要で、誰もが政治家を目指せるわけではない事などとマッチする。


また、結婚・恋愛観も劇的に違う。現代では結婚は恋愛の延長にあるものと考えられており、場合によっては恋愛によって結婚に至らないものは能力が低いものと評価されさえする。しかしほんの70年ほど前では結婚とは親が決めるものであり、家を存続させるために行うものであった。その時点では恋愛というものは社会的に重要ではなかったし、求められもしなかったのである。したがって、仮に恋愛の能力が低いとしても、それは当人の努力のみに依存するものではおそらくないだろう。


そして筆者として大きな違いであり、社会問題を生み出しているだろうと考えるのは、子供を持つ年齢である。戦時中まで、日本の出生率は欧米より高かったのだ。現代では平均的な初産年齢は30歳に近づいている。現在は少子高齢化であり、老後を誰が支えるのかという問題や、今後の経済力、労働力の確保という社会問題を引き起こしている。十代の少女が妊娠すれば無責任だと非難する。きちんと育てられないとののしる。「きちんと育てるとは何か? 金がありさえすれば責任があるといえるのか」という少女の声に答えるものはいない。70年前まで当たり前のことだったにも関わらず、だ。


確かなことは、戦前と今の間にあるこれらの変化が起きた事柄について、戦時中にすでにアメリカで分析が行われていた、ということである。日本人が忘れたことは、人為的に忘れさせられた可能性が否定できない。


菊と刀」は出版された。アメリカでなくてもこの情報は手に入れることができる。仮に何者かが日本人に干渉しようと思えば、これらの日本人の特性に関する情報をもとに実行することが可能なのである。そのことに対して情報を持たないということは無防備であるということを意味する。少しでも多くの人に、日本人自身を見つめなおしてもらえることを願って、今回の紹介を終わりにしたい。


ユダヤ陰謀論とつなげるなら、ロックフェラー回顧録に「人口抑制」の問題について日本を組み入れることが不可欠であるという言葉が含まれている。これがそのまま直結するとは断言できないが、少なくとも、世界に大きな影響を与える資産家が日本の人口抑制を考えていたらしいということだけ付け加えておく。