貴族政社会 戦後日本はCIAが作った

多くの人は社会の授業で、権力者が好き勝手権力を振るう専制(独裁)政治と、選挙で権力者を決める民主主義を習う。筆者は今のところ、それ以外について詳しく知っている人に出会ったことはない。
実は三権分立について書かれた本として教育される、モンテスキューの「法の精神」には4つの政治体制について書かれている。専制、貴族政、君主制、民主制がそれだ。そして民主制だけでなく貴族政にも選挙制度はあるのだ。ただこれは民主制の選挙とは少し異なっている。
つまり選挙がある、という事だけでは民主制である、と言い切れるわけではないのだけれど、このことを教育されたという人はほとんどいないようである。これは日本人の多くが民主主義を正しく教育されてないという事でもある。今回の話はなぜそのようなことになっているのか、戦後に民主主義が与えられたのではないのか、ということについて説明する。
まずは法の精神に書かれた社会体制について説明しよう。

 

◆貴族政とは何か-法の精神にある4政体

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モンテスキュー
「法の精神」で民主主義の基礎となる三権分立を提唱した

民主主義の原典の一つとしてモンテスキューの「法の精神」がある。民主主義に重要な三権分立を主張した本とされる。
実際のところ「法の精神」は何の本かというと、人類全体の歴史を調べたうえで「国家はどのように滅亡するのか」を分析した本である。三権分立はその分析の中で出てきた一部にすぎない。法の精神の中で民主制が優れているとされるのは、国家が滅亡するまでの期間が最も長いという理由である。

この分析の中で、人類が経験してきた国家を4つのタイプに分類した。簡単に紹介しよう。

 

専制

独裁者個人が好き勝手政治を行う、学校で習うような恐怖による支配社会である。支配者は人民にとって恐怖の存在でなければならない。そうでなければ革命などによって権力を奪われてしまう。日本風に言えばメンツが重要で、ナメられたら負けなのである。
恐怖による委縮や民衆からの搾取によって産業は育ちにくい。しかし恐怖されるためには弱みを見せるわけにはいかない。そのため、外国の資源や産業を奪う必要があり、領土の拡大や戦争を必要とする。

 

君主制

専制が暴君とすれば、君主制は名君となる独裁国家である。専制と同様に個人が政治の頂点にあるが、名誉を重んじる事で自浄作用が働き、善政を行う事ができる。
権力は基本的には世襲であり、子孫が善政を行う事は保障されず、代替りの際に専制になる可能性がある。(逆に専制の権力者から名君が産まれる場合もある)
権力者は自由に権力を振るう事が出来るが、不平等が起こらないよう、以前と同じ判断が必要な場合は前例を踏襲する事が多い。
嘘による支配や政治の腐敗は「恥ずべき事」という理由で発生しにくいが、君主の個性に依存する。
天皇を頂点とした戦前の日本は君主制である。君主制では名誉こそが重要であるため、不敬罪が存在する。

 

【民主制】

国民の投票により権力者が決定する政治体制である。ローマ帝国などがこれにあたり、4つの政体の中で最も滅亡までの時間が長いとされる。
国民が実質的な支配者であり、自由が尊重される。創作が盛んに行われ、文化が育ちやすい。権力者を置き換える事が出来るため国民の意欲が削がれにくく、産業が育ちやすい。
他国を支配し領土を拡大する事は、他の文化を持つ人民の流入を招き、国家の意思統一を難しくする。このため民主制は戦争を必要としない。
民衆が権力を持つため、国民の半数が国家の滅亡を望む事になれば存続できない。このため民主制には愛国心が不可欠である。

 

【貴族制】

君主なき君主制と表現される事もあるが、少数の実力者が派閥を作り、都度派閥間で闘争したり談合したりしながら国政を行う政体である。
民主制のように選挙は存在するが、民衆の意見を政治に反映させる事が目的ではなく、派閥間の権力闘争の道具として使用される。
貴族制に至るにはいくつかのパターンがあり、一つは君主制から君主が失われる場合。例えば世継ぎが幼いうちに君主が他界するようなパターンがある。また民主制から貴族制に至る場合もあり、商人と権力者が癒着するようなパターンである。癒着している商人が派閥を支持し、派閥は商人に便宜を図る。
専制と異なり権力者は個人ではないため、代替りによって善政に変わる事が期待できない。また選挙も派閥と癒着している者たちの固定票があるため、浄化作用を期待しにくい。
貴族達が民衆に重税を課し、その資金を山分けにする様な国家は、民衆にとって最も過酷とされる。

 

【戦後日本】

戦後日本は、天皇という君主を失った君主制であり、貴族政に属する。(全員ではないだろうが)旧貴族が自民党である。
憲法上は民主政であり、選挙もある。そして政権交代が起こる事もある。法の精神によれば、民主政の場合はこれによって浄化作用が起こるはずなのだが、貴族政である戦後日本ではこれが起こらない。
教育では、日本は民主制であるとされるが、法の精神や社会契約論の教育は無い。
これらはなぜなのか? 第二次世界大戦で勝利したアメリカは日本を民主主義にしたとされるが、実際はそうなっていない。ではアメリカは日本をどの様にしたかったのだろうか?


GHQに紛れ込んだ工作員

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機密文書KV2/3261、通称ノーマンファイル
イギリス公文書館が公開し、2020年に研究者がアクセスできるようになった

戦後の教育を作るにあたり、マッカーサーは日本を戦争しない国にしようと考えていた。しかしそうはならなかった。
イギリス国立公文書館が公開した情報機関の機密文書に、ノーマンのことを記したKV2/3261、通称ノーマンファイルがある。それによると、ハーバート・ノーマン共産主義者とされる。ノーマンはGHQの通訳として、公職追放に関わった人物である。

公職追放によって追放された教師たちは軍国主義の教師たちで間違いなかった。しかし当時の教師たちの証言によれば、戦後教育に登用された教師たちは反戦を掲げた平和主義の教師ではなく、共産主義思想を持った者たちが選ばれた。

こうした戦後教育に疑問を持った人たちの著書を見ると、GHQ共産主義者を教育者に据えたという証言が書かれている。例えば「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」がそうだ。
GHQ共産主義に支配されていた、というような論調で書かれているが、マッカーサーなどGHQ上層部は民主主義を実現しようとしていたが、日本との間に入った通訳が共産主義者だった、というのが実際のところのようだ。

 

日本側はGHQ上層部が何を考えているか知ることはできなかった。GHQ占領下では命令に従う事しか出来ないからだ。一方のGHQ上層部もまた自分たちが日本に何をしているのか、正確に把握する事はできなかった。通訳が正確な情報をもたらさなかったからである。

 

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こうしてGHQ統治下の日本は共産主義へと向かう事となった。

 

◆事態に気付いたジャーナリスト ハリー・カーン

GHQの占領下にあった戦後日本は共産主義へと向かっていた。この事に気づいた人物がいる。雑誌NewsWeekのジャーナリスト「ハリー・カーン」である。

カーンには日本にパケナムという部下がいた。パケナムは神戸の出身で流暢な日本語を話す事ができた。このためGHQの通訳とは無関係に、公職追放にあった者や識者らから事情を聞く事ができた。

このままでは日本は共産主義国に奪われる。そうした危機感を持ったカーンはGHQに危険性を訴えた。しかしパケナムと日本人が深い関係を持っている事が災いし、「日本人と共謀して占領政策を骨抜きにしようと企む不届き者」とみなされ、逆に敵視されることとなった。このためカーンは日本では十分な活動は出来なくなり、アメリカに帰って活動する事を余儀なくされた。

 

1人の記者としてできる事は限られるが、記事を書く時に日本の状況を織り交ぜて書いた。この内容が軍人の目に留まり、フーバー元大統領に伝わり、やがて国務長官ダレスの目に留まり、この内容は本当なのか、と軍や政治に影響力を持つ人々がカーンの元に集まるようになった。CIA長官のダレス(国務長官ダレスの弟)や、第二次世界大戦に突き進むルーズベルト大統領を快く思っていなかったフーバー元大統領なども加わり、日本の戦後を考える「ジャパン・ロビー」が結成される事になる。

 

カーンは知り合いの弁護士事務所に部屋を借り、そこがジャパン・ロビーの活動拠点となった。陰謀論者の中には「人目につかない隠れ家を作り、秘密裏に謀略を張り巡らせていた」と主張する者もいるが、ジャーナリストのカーンにはオフィスを構えるだけの資金が無く居候するしかなかったと言うのが本当のところのようである。

 

◆逆コース・日本の民主主義化の停止

日本を共産主義国にしない。この目標のためにカーンは日本の戦後について「速やかな政治権力と治安の回復」「速やかな経済の復興」「共産革命を阻止する軍事力(特に陸軍)の回復」を主張した。
ジャパン・ロビーには様々な政治・軍事関係者が集まっていたが、同時に一枚岩ではなく、調整は難航した。特に日本と戦った軍部は日本の軍事力の回復に反対であった。これは最終的に日本軍の復活は行わず、代わりに日米軍事同盟を結んでアメリカ軍が駐留するという形になった。日米同盟は日本に再軍備をさせないという目的もあったのだろうが、もう一つは共産革命を起こさせない事が目的だった。

経済の回復は財閥の復活が必要となった。ちょうど財閥解体が進められるタイミングであった。この政策を転換する事となった。またマッカーサーの副官がケーディスからウィロビーへと変更となった。

迅速な政治権力の回復にも問題があった。日本には民主主義の指導者がいないという問題である。最終的に速度を優先して日本の民主主義化をあきらめ、旧貴族から政治家に戻す事になった。共産主義国の脅威に対抗するために、日本を民主主義国にするという選択は取れなかったのである。この民主主義に反する方針は「逆コース」などとも呼ばれる。

 

◆釈放されたA級戦犯

日本において戦争を進めてきた政治家、軍人、財界の要人などは、平和に対する罪として東京裁判を経て、A級戦犯として巣鴨拘置所に収容されていた。逆コースの実現のため、CIAが動き、A級戦犯を釈放し社会復帰させる事で迅速な経済・統治機構の回復が図られる事となった。

財閥解体は見送られ、財界の人々は釈放された。

政治家としては岸信介が選ばれた。これはA級戦犯の中で最も民主主義に近い思想を持っていたからとされる。そして岸信介を中心として自民党が作られた。

自民党結党に際して使用された資金は、同じくA級戦犯として収容されてきた児玉誉士夫から没収した財産である。大物ヤクザの児玉は、戦時中麻薬を売って東南アジアにレアメタル利権を作りあげていた。これら軍事物資に流用可能なものをGHQは没収していたが、これが自民党結党に使用された。現在も自民党が反社会組織と関係があるのではと噂されるが、こうした関係は結党当初からということになる。

 

終戦-自民党設立、日米同盟、サンフランシスコ条約

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サンフランシスコ条約締結
日本と連合国の戦争が終わり、同日日米同盟が結ばれた

こうして第二次世界大戦終結した。天皇は権力の座から追われて象徴とされ、軍隊は解体されたが、それ以外は戦前に戻された。

軍隊が解体されることによって、共産主義革命の可能性が増える。それを抑えるため日米同盟が結ばれ、米軍が日本に駐留する事となった。

こうして終戦を迎え、終戦の条約であるサンフランシスコ条約と、日米同盟が同時に結ばれた。この連合国と日本の間の終戦の条約に、共産主義国であるソビエトや中国は加わっていない。

日本は領土についても、戦争開始前の領土に戻された。ただし北方四島については矛盾する形で条約が結ばれた。つまり英語版のサンフランシスコ条約では「日本はクリル諸島を手放せ」となっており、日本語版のサンフランシスコ条約では「日本は千島列島を手放せ」になっている。クリル諸島には北方四島のうち2島が含まれる。千島列島には含まれない、という矛盾である。

これが日本とソビエトが離反する事を目的としていたかどうかは定かではないが、Mitrokhin Archiveによれば、戦後KGBの活動でソビエトと日本が手を組もうとした時、北方領土問題によって決裂した事があったようである。

(Mitrokhin Archive:ソビエト崩壊時にKGBの機密文書を盗み出しイギリスに亡命したMitrokhinの情報をまとめて出版された本)

 

◆まとめ

戦後日本は、与えられた民主主義の憲法と、共産主義者による教育、貴族政による政治体制を持った国家となった。選挙があるから民主主義である、と教育されるが、実態はそうではない。民意の反映を目的とせず、派閥争いのためだけに選挙を行う貴族政も存在するが、それは法の精神を直接読まなければわからないだろう。

 

これは必ずしも戦勝国アメリカの意図通りというわけではなく、共産主義国のスパイの影響が強すぎたために、日本を民主国にするという選択肢をとることができなかったようだ。

 

おそらく、こうした戦後の姿を日本国民に教育する事は、日本を民主主義にしたくない共産主義者にとっても、貴族政を維持したい政治家にとっても、戦争の結果として日本が民主主義国になった事にしたいアメリカにとっても都合が悪かったのではないかと考えられる。

 

支配されたくない人間は、学校教育を離れ、自ら学ばなければならない。

私個人としては、そうした学習の結果として日本国民自身の意思で民主主義を選択し、自分達で政治家を擁立し、貴族政ではない日本を作る事を希望している。文化が発達し、国家の寿命が最も長く、戦争にメリットを持たない民主主義は、欧米などに比べ争いを好まない日本人にとって恩恵が多い政治体制であるはずだから。